日本語 | Tiếng Việt

 
「 大使のよもやま話(第44回)」

2010年2月1日

 

特別の新年賀詞交歓会

 

  ベトナムで生活していて不思議に思うことの1つに、イベント案内状が直前ぎりぎりに接到することが多いことで、時には受け取った時点でイベント自体が既に終わってしまっているということもあります。日本だと、イベントへの出席案内状であれば遅くとも2週間前、早ければ1ヵ月くらい前に接到しますので、十分に余裕を持って出欠の日程調整が出来るのですが、ベトナムのようにイベントの2-3日前に案内されても既に他の予定が入ってしまっているということがしばしばですし、どうしても出席しない訳にはいかない行事の場合は先約をキャンセルしなければならなくなりますので大いに困惑します。それでもハノイでの行事なら何とかなるのですが、飛行機で移動しなければならない遠方の地での行事の場合はギブアップせざるを得ません。どうしてベトナムの方々はもっと早く案内状を発送してくれないのでしょうか。このことをベトナム人に尋ねると、郵便事情が悪いために到着が遅れるのだという説明が返って来るのですが、昔ならともかく今のベトナムでは遅れても2-3日ですので、答えにはなっていません。ベトナム人が怠慢な性格でギリギリになるまで郵便物を発送するという面倒な仕事をしたがらないためではないかと言う人もいますが、これも正解ではないようです。私の推測は、「ベトナム人は行事日程をギリギリまで確定しない(出来ない)から案内状の発送自体も遅くなる」のではないか、というものです。では何故ギリギリまで日程を確定しない(出来ない)のかというと、「主賓のお偉いさんの出欠確認がなかなか取れない場合」と「占い師による佳き日の占いが遅れがちだから」という2つのケースが考えられます。まあ、真相が奈辺にあるかは個々に事情が違うのかも知れませんが、とにかく私としては「もっと早く案内状を送って欲しい」という一言が言いたくてこの文章を書いています。ベトナムの皆さん宜しくお願いします。

 

   ベトナムの国民的歌手ミー・リンを迎えた新年賀詞交歓会

 

   1月20日、大使公邸で毎年恒例の新年賀詞交歓会を開催しました。今年は交歓会のあり方を見直し、日本企業関係の招待客はハノイ日本商工会の役員企業のみに絞りましたので参加者の数は例年よりだいぶ少なくなりました。JICAの海外青年協力隊員やシニア・ボランテイアの方々、国際機関のハノイ事務所に務める邦人職員やNGOの方々もお招きしました。開会の挨拶で、私からは、ベトナム経済の回復が本格化しそうなので企業活動にも明るい展望が開けて来ることを祈念しますと申し上げました。大半の出席者とは今年初めてお会いしたのですが、皆さん、昨年の春よりは明るい表情をしておられるように見受けました。

   また、今年の賀詞交歓会では、特別イベントとして、ベトナムの国民的歌手であるミー・リンさんにお出でいただき、3曲ほど歌を歌っていただきました。ミー・リンさんはベトナムでは知らない人がいないほどの有名人ですが、外交関係樹立35周年を祝った一昨年の「日越音楽祭」や東京・代々木公園での「ベトナム・フェステイバル」に出演してくれた他、昨年の「ホイアン日本祭り」にも特別参加されるなど、日本関連の文化行事には必ずと言ってよいほど積極的に協力してくれています。今回も無理を承知でボランテイア出演をお願いしたところ快諾していただき、依頼した私の方が驚いてしまいました。ミー・リンさんのおかげで賀詞交歓会に参加された皆様には心豊かな時間を過ごしていただけたのではないかと思います。

 

   ベトナムの中小企業と裾野産業の育成

 

   1月20日、ベトナム商工会議所と日本経済研究所の共催で中小企業振興に関するセミナーが開催され、私は開会式での挨拶を依頼されて裾野産業の育成問題を中心にお話しました(スピーチ・テキストはこのHPに別途掲載)。このセミナーには日越双方から100人ほどの専門家が参加され、この日の夕方までベトナム中小企業の振興、競争力強化に関わる諸課題について熱心に意見交換されました。22日には南部のホーチミン市でも同じ趣旨のセミナーを開催されたようです。

 

   私は、ベトナムがASEANの加盟国として域内の貿易自由化に組み込まれる2015年の時点で十分に競争力のある産業を育てられるのかに懸念を有しており、特に裾野産業がぜい弱な現状を早期に克服しなければ日越間の経済関係(本邦製造業の対越投資)にも悪影響が出てきかねないと思っています。このため、私は、一昨年春の着任以来、日本商工会の会員企業の皆様やJICA・JETROの方々とも相談しつつベトナム裾野産業の育成に向けた様々な事業を手掛けてきたのですが、残念ながら十分な成果をあげるに至っておりません。この日のセミナーの挨拶の中で私が課題・問題点として指摘したのは、ベトナム政府の中に裾野産業問題を取り扱う専任の機関・部署が存在しないために関連する政策を統一的に、かつ強力に推進することが出来ないこと、そして、ベトナムの部品産業の経営者の中にも危機感が欠如していて「品質・コスト・納期(QCD)」の概念すら十分に定着していないこと、の2点です。ベトナムでは時間がゆっくりと流れていて、私のように性急に物事を進めようとする態度はあまり歓迎されないのですが、それにしても「もう少し急いだ方が良いのでは」と思わずにはいられません。

 

   ユネスコ日本信託基金によるタンロン遺跡保存

 

    1月20日、ユネスコ日本信託基金の支援によるタンロン遺跡の保存事業に関する署名式がハノイ市内で行われました。署名の当事者はユネスコとハノイ市ですが、3年間に亘る事業費の大半が日本政府の資金(約1億円)ということで、私も来賓として招待されました。タンロン(ハノイの旧名)にベトナムの都が築かれたのはちょうど1千年前に李朝が開かれた時なのですが、それ以前からも中国王朝の安南都護府が設けられていた関係で、発掘現場からは8世紀頃の遺構も発見されているようです。日本人にとっては8世紀の半ばに阿倍仲麻呂が唐王朝の節度使としてこの地に派遣されていたこともあって特別の感慨があります。

 

    この日の式典にはベトナム外務省や文化スポーツ観光省からも次官クラスが来賓として参加され、多くのマスコミも取材に当たって華やかなイベントになりました。日本のテレビ局も取材に当たり、式典の様子が映像として流されたようです。実は、私にとって嬉しかったことは式典会場でベトナム歴史学会の会長であるファン・フィン・レー教授と臨席したことです。大学で歴史を専攻したほど歴史好きの私にとっては最良の「先生」と出会った気分で、直ちに早期の再会を約束し合いました。

 

いろいろな人々との出会い(日本人編)

 

1月18日、防衛省の中江公人事務次官がハノイの我が大使館で開催されたアジア太平洋・中東地域の安全保障担当官会議に出席するために来訪されました。中江次官はハノイ滞在中にベトナム国防省の幹部とも会見され、日越間の防衛交流の一層の活発化について意見交換されました。この安全保障担当官会議は15年以上も前から開催地を変えながら毎年開かれており、各大使館の政務担当官や防衛駐在官の間での情報と問題意識の共有に役立っています。

 

翌19日、奈良県の特別顧問をしておられる山崎隆一郎・元駐ベトナム大使を大使公邸にお迎えして、奈良遷都1300年祭に関わる自治体間交流や文化行事の開催などについて懇談しました。山崎大使がハノイに駐在していたのは2001年春から1年半ほどの短い期間だったのですが、7年以上たった今日でもベトナムに対する熱い思いを持っていただけているのは嬉しい限りです。発展著しいベトナムは当時と比べ党や政府の役職者は勿論、街の様子なども随分と変わって来ているようで、幾分か「浦島太郎」の気分を味わったのではないかと想像しました。

 

25日、三井物産の古川壽正副社長(アジア太平洋本部長)と大使館で懇談しました。古川副社長はシンガポールに駐在しつつ、中国を含むアジア太平洋地域の国々とのビジネスを総攬しておられるとのことです。三井物産はホーチミン市に拠点を置いてベトナム事業を展開しており、古川副社長もハノイを訪問するのは初めてとのことでした。懇談の中でマクロ経済の安定が話題になった折に、副社長から、ベトナムのような発展著しい途上国の場合、多少のカントリー・リスクは「発展」の中に吸収されてしまう(打ち消される)傾向があるので、会社としても昔ほどカントリー・リスクに神経質でなくなっているとの趣旨のお話があり、我が意を得たりの思いがしました。

 

27日、三菱重工の佃和夫会長が大使館を訪ねてくれました。三菱重工はベトナムでは長年に亘り発電所建設など多くのインフラ整備事業に関わってきており、ODAの分野でも御縁の深い企業です。昨年はハノイのタンロン工業団地に航空機の部品工場を立ち上げたばかりであり、MRJと呼ばれる中距離ジェット機の輸出や原子力発電の分野にも関心を向けています。佃会長自身もかつては電力プラントの専門家としてしばしばベトナムを訪れていたとのことでした。私からはベトナムにおける三菱重工の存在感は大きく、今後も積極的な事業展開を期待しますと申し上げておきました。

 

28日、海外貿易開発協会(JODC)の菅野利徳理事長と大使館で懇談しました。JODCは経済産業省から補助金の交付を受け、海外に進出している中小企業を支援するために経営管理や品質改善指導などの専門家を派遣しています。毎年、アジアを中心に240-250名の専門家を短期派遣(平均6-7ヵ月間)しているそうですが、ベトナムへの派遣も急速に増えていて、2008年度にはタイやインドネシアに次いで3番目に多い人数をホーチミン市などに派遣しているとのことでした。また、ハノイでは、進出日本企業に就職する優秀な人材を確保するため、FPT大学やタンロン技術科学大学に専門科目の講師を派遣し、日本語教育と連携させる事業も行っています。ベトナム・ビジネスで何かとお困りの中小企業の方々にはJODCの事業を大いに活用されては如何でしょうか。

 

29日、モリタ・ホールデイングスの新村鋭男会長が大使館を訪ねてくれました。この会社は主に消防自動車を製造・販売しており、日本では50%のシェアを誇っています。ベトナムでもハノイ東部のフンイエン省に工場を立ち上げており、1年ほど前から操業を開始して年産100台の実績を残したとのことでした。梯子(はしご)車などの高機能車両は日本から輸出しており、ベトナムでは一般車両の生産に特化し、更に生産台数を増やしていきたいとのことでした。ベトナムの消防車と言えば、かつてはドイツ製かオーストリア製ばかりだったようですが、今後日本製の車両が増えるのは嬉しいことですね。

 

    いろいろな人々との出会い(ベトナム人編)

 

26日、ベトナム中部フエ市のファン・チョン・ヴィン市長が大使館を訪ねてくれました。フエ市では日本のODA(円借款)で水環境の整備事業が予定されており、その取り進め方について意見交換しました。私からは、王宮周辺の掘割にも関わる事業なのでユネスコなどとも連携したいと申し上げました。また、フエ市では日本の草の根援助で水上生活者の陸地への移住を促進するための小学校の建設なども行っており、年内にはこれが完成する予定です。ヴィン市長からは静岡県との自治体交流を評価する発言もありました。文化面では本年6月に開催される「フエ・フェステイバル」(隔年開催)への日本の文化団体の参加への期待も表明されました。

 

    同じ26日の午後、ハノイの最北部にあるソクソン郡を訪ね、草の根援助で完成した農業灌漑施設の完工式に出席して来ました。この事業は一昨年の暮れに地元の関係者が大使館に来訪して、支援を直訴された案件(「よもやま話」第20回参照)であり、その時から1年を経て、完成された灌漑施設を訪れ、喜ぶ村人の姿を見た時は感慨ひとしおでした。式典の後、地元スアンザン村のドー・スアン・ギエップ村長らと共に、ソクソン郡の人民委員会主催の夕食会に出席したのですが、会場となったレストランの中庭には2匹のワニが飼われており、食卓にはコオロギの揚げ物が用意されていて驚きました。日本の田舎にはイナゴを食べる習慣があると聞いたことがありますが、ベトナムではコオロギを食べるのですね。それにしても黒こげになったコオロギが皿一杯に山盛りになっている様子はややグロテスクです。その夜、私はひどい下痢に悩まされました。

 

    28日、ベトナム共産党対外委員会のホアン・ミン・クアン委員長から昼食への招待を受け、党レベルでの日越交流について懇談しました。クアン委員長は共産党青年団の第一書記やトウエン・クアン省(ハノイ北西160km)の党書記などの要職を務めた後、昨年夏に現職に就任したばかりの党幹部です。この日も1995年に青年団の代表として1ヵ月近く日本に滞在し、北海道で5日間ホームステイした時のことを懐かしく話してくれました。私からは是非とも早期に再度訪日し、今度は九州を訪問してみてはどうかと提案しておきました。クアン委員長は「対外委員会の代表として日本との関係発展に務めたい」との決意を表明してくれました。

 

同じ28日にハノイ女性実業家協会のファム・テイ・ロアン会長らを公邸での夕食会にお招きし、女性の立場で私企業を経営する職務環境などについてお話を伺いました。ロアン会長は15年前に従業員5人の貿易会社を立ち上げたのが出発点で、今では従業員2千人の電力設備を製造する会社の社長を務めています。国会議員にも選ばれ、財政予算委員会に所属し、ASEANとの友好議員連盟の活動も行っているとのことでした。この夕食会には、ベトナム女性実業家評議会のグエン・テイ・トウエ・ミン副会長や従業員千人の繊維企業を経営するゾアン・テイ・フウ・ギ社長も出席し、JETROとの協力や訪日ミッションのことが話題となりました。「ベトナムの女性実業家は元気である」というのがこの夜の私の感想でした。

 

越日ビジネス・クラブの総会

 

      1月25日、昨年9月に発足したばかりの越日ビジネス・クラブ(VJBC)の総会に招かれて挨拶する機会を得ました(私の挨拶テキストはこの大使館HPに別途掲載)。この日の総会には30社ほどの会員企業の代表が参加したのですが、VJBC発足の功労者であるドー・ヴァン・ユン会長(環境ビジネスを展開するココモ社の社長)が風邪をこじらせたために欠席となったのは残念でした。ただ、総会の冒頭でクラブの最高顧問に就任しているブー・マオ元国会対外委員会委員長の挨拶があったほか、越日友好協会のギエム・ブーカイ会長(越日友好議連副会長)も出席して第1回目の総会に華を添えてくれました。VJBCの会員企業は日本と何らかのビジネス関係にある中小規模の私企業が中心で、ベトナムの地方都市への日本企業の進出を支援し、交流を深めたいとの希望を持っています。3-4ヵ月に1度のペースで日本にビジネス・ミッションを派遣する計画もあるようです。ユン会長をはじめメンバーの中には日本語が上手な人も多く、これからベトナムに進出しようという日本の企業家にとっては特に有り難い存在になりそうです。関心のある方は、クラブのウェブ・サイト(www.vjbc.org.vn)にアクセスしてみて下さい。

 

 

(了)

 
ホームに戻る